夏の追憶 陽が照りつける。 植えられたばかりの稲の緑が、水面で反射した光によってきらきら光る。 右を見ても左を見ても広くどこまでも田んぼ。 その真ん中を切ったように通るアスファルトの道路を、祖母の愛犬を連れて歩いていた。 夏休みのこの光景はいつまで続くだろう。 空からの日差しも地面からの照り返しも強く、目の前が少しぼやけた。 「暑いね、キャンディ。」 右手の田んぼの中からは、偽者の銃声が一定期に響く。 田植えをしてからは鳥除けに鳴り続ける音だ。 田を横断した道を終わりまで行くと小さな林の道になり、そこはしばらく木陰になる。 長い道のりではないけれども、日陰を求めて足を速めた。 田んぼの道は私を守ってくれるものが一つもない。 お天道様に全て晒されているような道だ。 私の歩調に合わせてキャンディも小走りになる。 「到着!」 最後のほうはほとんど走るに近い格好で木陰に入った。 息が切れる、キャンディも息を切らしている。 「ごめんね、走っちゃった。」 返事はないがこちらを見ている。 なんとなくこうして心が通じている気がする。 膝に手をついて呼吸を整えていたが、ふと視線を感じて顔を上げた。 木陰には金網の箱でできたゴミ置き場があり、金網の中は黒や透明のビニールで溢れていた。 収集車はまだ来ていないようだ。 金網からさらに目線を上げると、黒いものがゆらゆらと揺れていた。 それは凧糸のようなもので結ばれ、糸の先を辿るとそばに立った棒へ行き着いた。 なんだろう。 一歩近づき目を凝らす。 揺れるそれは、烏の模型であった。 「ああ、最近東京でもよく見るな。」 烏除けにコンパクトディスクや烏の模型を吊るすのは自宅でもしている。 田舎でもするのか、と意外に思う。 ゴミ置き場の荒らしなら他の動物でもしそうだ。 ぼんやりと考えていたが、やはりその辺りから視線を感じる。 不思議に思いまた数歩近づいた。 揺れる烏の模型。 よくできている、自宅で使っているものはどう見てもビニールなのだ。 足らしき箇所に糸が巻かれており、重さがあるように揺れている。 ふさふさとした羽を観察していると、一部べったりとして照る部分があった。 「……?」 そこに、無数の小さな虫が集っている。 「ワンワン!」 キャンディの鳴き声ではっとし、ゆらりと大きく揺れた烏の模型の頭部がこちらを向いた。 目が合う。 僅かに濡れたように輝く眼。 冷や汗が出て視線の正体を悟った。 模型だと思っていたそれは、烏の死体だったのだ。 まさか、そんなものが吊るされているなんて、思いもしない。 烏は黒々とまだ艶やかで、恐らく死んで間もないのだろう。 殺して吊るしたのか、たまたま死んでいたものをそうしたのか、いずれにしても気分が悪くなった。 まるで晒し者になっているようだ。 キャンディが低く唸る。 烏の死体に動揺して全く気付かずにいたが、頭上の電線には多くの烏が集まってきていた。 私が見上げたことに気付いたかのように、烏が騒ぎ始めた。 ぐるぐると飛びながら鳴くものもいる。 「違う!私じゃない!」 その様子に声が出た。 烏達はますます騒がしくなる。 「私じゃないんだ!」 低く怒ったように鳴くもの、誰かに知らせるように鳴くもの、悲しむように甲高く鳴くもの。 「私が殺したんじゃない!」 なんの弁明だろう。 心の中のざわめき。 烏はどんどん増えて、強い日差しの眩しさと黒の叫びが私の目の前を覆った。 全身の痛みと苦しさで目を覚ました。 目の前はかすみ、はっきりしない。 私は何をしているのだろう。 痺れていうことをきかない体に力を入れる。 視界に入る光がところどころ途切れ、何かが揺れて影を作っているようだった。 「……?」 状況を整理しようと記憶を辿る。 確か母と食事をしていたのだ、しかしそれ以上は覚えていない。 体の感覚が少し出てきて咳が出た。 かろうじて動かせるようになった左手で首もとを触る。 そこには縄の感触。 「はあはあ、」 頭上で揺れる何か。強い日差し。 まだ体が自由にならないし、目の前はかすんだままだ。 顔に液体の感触。 「あ…め……?」 やっとのことで声が出て、かすむ視界で揺れる物体を追う。 液体は雨の様子でなく、顔以外の場所にも感じた。 視界が徐々に晴れていく。 体は変わらず動かない。 縄の軋む音、揺れる影。 「はあ」 見覚えのある服、揺れているのは人だ。 私は地面に仰向けで寝ているのだ。 「か…あ、さん?」 くっきりと見えた揺れているそれは間違いなく母だった。 「かあ…さん……。」 返事はない。 私は体を動かそうとするがやはり思うようにいかず、それどころか徐々に意識が薄れていった。 「かあさん……。」 縄の音と、母の影。 この液体はなんだろう。 自分の首に掛かった縄を指先に感じながら、自分だけ落下したのだと気付く。 そういえば、母さん、悩んでいたね。 ごめん、母さんごめん。 母を降ろさなければと重たい体に懸命に命令し、しかし意思とは別に私の意識は失われていった。 影が揺れる、陽が照りつける。